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勝山城 (長門国) : ウィキペディア日本語版
勝山城 (長門国)[かつやまじょう]

勝山城(かつやまじょう)は、現在の山口県下関市勝山にあった日本の城山城)。且山城とも表記される。幕末長府藩が勝山の山麓に築いたものは勝山御殿と呼ばれる。
== 概要 ==

=== 勝山城 ===

勝山の山頂に築かれた連郭式の山城。築城年代は不明だが、永和4年(1378年)に大内氏家臣の永富嗣光が築城したとも言われる〔〕。
大永元年(1521年)に、九州に対する備えとして守護大名大内氏の重臣内藤興盛が入るが、大永7年(1527年)に、近接する青山城の城主高森正倫との間に諍いが起きる。高森氏は津原膳勝津田興輝らの加勢を得て12,000の軍勢で且山城を取り囲むも、内藤氏には大内氏が加勢して35,000の大軍となった。逆襲に転じた内藤勢は、青山を攻め落とした(勝山青山の戦い、青山くずれ)〔勝山城跡の説明板「勝山の歴史」(平成15年3月・勝山三山を守る会)より。〕。
天文24年(1555年)の厳島の戦いで勝利した毛利元就による周防・長門への侵攻(防長経略)により、弘治3年(1557年)3月に大内義長は本拠地である山口を脱出。内藤隆世と共にこの城に籠城して毛利軍と戦った。要害であった勝山城を包囲した元就が矢文によって降伏を促したところ、4月2日に開城して、義長の助命を嘆願する隆世は自害した。その後義長は、勝山城を出て長福寺(功山寺)に入ったが、翌3日には攻め寄せた毛利軍に追い詰められて自害している。
落城後は、入江箸親が城番となった。
現在でも、勝山山頂に頂上周辺に曲輪の跡地などが残っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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